『アポトーシス』は自由詩または散文詩なのか

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8月18日発売予定;Official髭男dismのセカンドアルバム『Editorial(エディトリアル)』発売前に先行してリード曲の『アポトーシス』が配信スタートしました

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MVも出ました


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ヒゲダンの曲といえばこれでもかというほど韻を踏んだ歌詞のイメージが強いと思いますがこの新曲は静かでゆったりとした美しい旋律に、まるで小説か映画のワンシーンを切り取ったような歌詞が載せられています

Pretenderやノーダウトあるいは宿命の歌詞を堪能してるとき、詩の世界で言えば定型詩(rhymed verse)の様式美と同じような楽しみ方をしていたのですが、形を整えるために語句の選択には脚韻を生成するものを選択しなければならないという一定の制約がかかってますよね

どこかでさとっちゃん(一応説明しておくとヒゲダンのボーカル&ソングライター)が語っていましたが ー伝えたいと思うことを表現するときに韻を踏むという制約がかかると思うがままには表現できない部分も出てくるー まさにその制約を取っ払って書き下ろした作品のようです

細かい情景を描き出している歌詞はさながら自由詩、あるいは散文詩といってもいいのかも

 

気づいたところや感じたことについて思うがままに綴っていこうと思います

 

まず最初に、これは誰が誰に向かって言っている言葉なのか、ですが

「こんな話をそろそろしなくちゃならないほど素敵になったね」

というところで、素直に考えると伴侶となるパートナーなのかもしれませんが、ひょっとしてこれは親が子に向かって(イメージとしては娘)語っているのではないかと思いました

人の死について理解する程度に成長した娘に言ってる父親(あるいは母親)を想像しました

あるいはもっと、結婚適齢期くらいまで素敵に育った娘(息子)なのかもしれない

ダーリンという呼びかけは日本語だと恋人や旦那さんを想起させるかもしれませんが英語のdarlingは「最愛の人」ですよね

なのでそんな想像を掻き立てます

人によってはそんな捉え方もありですよね

 

落ち葉も蝉も、あらかじめプログラムされた細胞死(アポトーシス)の現象を引き起こしますが、それと同様に人類の死も世界の進化のためにプログラムされていると捉えることができるでしょう

しかし誰でもそうだと思いますが、死に対する怯えを拭いきれません

「鐘が鳴る方角」には葬式が執り行われた情景

恐る死からは遠ざかっていたいと誰もが願うもの

目を逸らしておきたい現実です

「ロウソクの増えたケーキも食べきれる量は減り続けるし」という辺りは、老いを感じる年齢に差し掛かった人には思い当たる現象ですよね

30歳に差し掛かるということでこの歌を思いついたという作者(さとっちゃん)ですが、それにしてもまだ若いのにこんな文章を思いつくとは… いつもの如くその才能に感嘆させられます

「今宵も明かりのないリビングで思い出とふいに出くわしやるせなさを背負う」

家族や最愛の人を失った経験のある人は共感すると思いますが、何かのきっかけで昔交わした会話を思い出したり、一緒に出かけた旅行、好きだった音楽、大切にしていた物など故人を思い出す瞬間に、やるせない気持ちが込み上げて来ます、なぜ逝ってしまったんですかと

 

「解説もないまま次のページをめくる世界に戸惑いながら」

この表現も素敵です

明日何が起こるのか、誰も未来を予知することができません(予知能力者の存在を信じていないのなら同意してもらえますよね)

先を読めないまま、人は人生を生きていくのですよね

いつ訪れるかわからない死を恐れながら生きていくしかないのですよね

永遠の別れはいつやってくるのか予測はできないので

「別れの時までひとときだって愛しそびれないように」

と思える存在が側にいる人は本当に幸せですね

失って気づくことが多いものですね

 

ヒゲダンの楽曲は「死」について考えた歌詞であっても必ずといっていいほど「生きる」「生き抜く」ということが意識されていると感じます

『What's Going On?』もそうですよね

死を美化しない、恐る存在としてテーマに持ってくる

その辺りに私は情緒不安定なときでも聴けるという信頼を寄せています

 

Audio


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アポトーシス』 作詞作曲:藤原聡

訪れるべき時が来た

もしその時は悲しまないでダーリン

こんな話をそろそろしなくちゃならないほど

素敵になったね

恐るるに足る将来に

あんまりひどく怯えないでダーリン

そう言った私の方こそ

怖くてたまらないけど

 

さよならはいつしか確実に近づく

落ち葉も空と向き合う蝉も

私達と同じように生きたの

今宵も鐘が鳴る方角は

お祭りの後みたいに鎮まり返ってる

なるべく遠くへ行こうと私達は焦る

似た者同士の街の中

空っぽ同士の胸で今

鼓動を強めて未来へとひた走る

別れの時など目の端にも映らないように

そう言い聞かすように

 

 

いつのまにやらどこかが絶えず痛み出し

うんざりしてしまうね

ロウソクの増えたケーキも

食べきれる量は減り続けるし

吹き消した後で包まれた

この幸せがいつか終わってしまうなんて

あんまりだって誰彼に泣き縋りそうになるけど

さよならはいつしか確実に近づく

校舎も駅も古びれて行く

私達も同じことなんて

ちゃんとわかっちゃいるよ

今宵も明かりのないリビングで

思い出とふいに出くわしやるせなさを背負う

水を飲み干しシンクにグラスが横たわる

空っぽ同士の胸の中

眠れぬ同士の部屋で今

水滴の付いた命が今日を終える

解説もないまま次のページをめくる世界に戸惑いながら

 

今宵も鐘が鳴る方角は

お祭りの後みたいに鎮まり返ってる

焦りを薄め合うように私達は祈る

似た者同士の街の中

空っぽ同士の腕で今

躊躇いひとつもなくあなたを抱き寄せる

別れの時までひと時だって

愛しそびれないように

そう言い聞かすように

 

訪れるべき時が来た

もしその時は悲しまないでダーリン

もう朝になるね

やっと少しだけ眠れそうだよ